謎に包まれた誕生
安倍晴明の出身地については、大きく分けて3つの説があります。
一、 大阪説
二、 讃岐説
三、 茨城説
この中で最も有力なのは、一、大阪説です。
『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。
以下、引用文です。
「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。
あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。
ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」
狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。
晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。
安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。
晴明墓所……京都嵐山にて
大阪市阿倍野区阿倍野で産まれたとされる晴明。
活躍期には、住居を京の都の北東(京都市上京区・現晴明神社)に構え、晴明は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていました。
そして、花山天皇、藤原道長を始めとする貴族に重く用いられ、寛弘2年9月26日(1005年)、85歳でこの世を去ったとされています。
現在、晴明の墓は、京都市嵯峨にある「晴明墓所」が有名です。渡月橋(とげつきょう)のそば、細い路地裏に位置するこの墓所は立派な鳥居で囲われ、没後970年記念の石碑が真ん中に、そしてその奥に晴明の墓が位置し、華やかなりし平安京での晴明の姿が忍ばれます。
堺市の中心で?を叫ぶ