晴明紋の鳥居が目印です。
神社名でなく社紋入りというのは珍しい
次に、境内を入る前の短い参道にあった「一条戻橋」。
かつて源頼光の四天王の一人だった渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所として有名で、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列はこの橋を渡らないのが習わしだとか。
また橋の横にある「式神石像」、実は陰陽師が使う精霊で人の目には見えず、この橋を渡る人の占い「橋占(はしうら)」をしていたそうです。
二の鳥居をくぐって境内の中に入ると、右手に神域に入る前に罪や穢(けが)れを洗い流す「手水舎」がありました。
そしてその横に最大のパワースポット「晴明井」を発見。
晴明公が念力で湧出させた井戸で悪病難病が治るとされてとても人気があり、立春に神職が井戸の上部を回転させて取水口がその年の恵方を向くようにして吉祥水が得られるとのこと。
なるほど少しここはエピソードを聞くとパワーを感じるようなそうでないような
境内にはまだまだ注目スポット満載です。
本殿の横には桃の形をした像「厄除桃」があります。
陰陽道では桃は魔除け・厄除けの果物。参拝客は皆、桃をなでてご利益をあやかっていました。
さらにその横には樹齢推定300年といわれる大きな「御神木」。
300年だと安倍晴明の時代よりも、ずっとあとになりますが・・・・・・・・・・。
これも樹皮に触れている人が多く見られました。
(安倍晴明神社とは、起源が違いますが、私としては『葛乃葉(くずのは)伝説』のこともあるので、安倍晴明神社の起源をとりたい。)
特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。
成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。
そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。
帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。
今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。
- 市バス
- JR 京都駅より: [9]番「一条戻り橋」下車 徒歩2分 阪急 四条烏丸駅、地下鉄 四条駅より: [12]番「一条戻り橋」下車 徒歩2分 京阪 三条駅より: [12][59] 番「堀川今出川」下車 徒歩2分
- 地下鉄
- 烏丸今出川駅より徒歩12分
- タクシー
- 京都駅から約12分
堺市の中心で?を叫ぶ