2010年12月10日金曜日

容疑者Xの献身 東野圭吾

「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか。ただし、解答は必ず存在する。どうだ、面白いと思わないか」


隣人・靖子に思いをよせている、高校の数学教師・石神は、毎日彼女の顔を見に、彼女の働くお弁当屋に、弁当を買いに行くのが日課です。
ある夜、石神は、靖子と娘の美里が、やむを得ない事情で、靖子につきまとっていた別れた夫・富樫(ゴキブリのような男)を殺害してしまったのを知り、 彼女たちに協力を申し出ます。

タイトル(容疑者Xの献身)と帯(人は、どこまで深く人を愛すことが出来るか? どれほど大きな犠牲を払えるか?)によると、純愛犯罪小説、といったところでしょうか。

彼の深い思いには、感動より先に、驚愕で声もでない、といった感じでした。
自分自身を犠牲にして、見返りを求めない純粋な愛という存在し得ないものですかね。

途中(ベンツを尾行するシーン)で一瞬、彼はこの先ストーカー化して、これをネタに靖子を支配しようとするんだろうか?と、
私は、すっかり引っかかってしまいました。
本当に、作者の思う壺ですね。
想像力豊かであれば、あるほどひっかっかてしまう、この小説のわなにはまりそうになりましたね


純粋ではあるが、片想いなわけで、石神の気持ちは異常に重いし、特に女性は、気持悪い!って思うかも、知れません。
しかもその相手である靖子が、同性に嫌われるタイプだと思います。
だから、展開についていけない人もあると思うので、その辺で評価が分かれるかもしれません。
警察の疑惑に、次々と石神が、手を打っていくので、感心している内に、感心しているうちに作者のわなに、いつのまにか、警察と同じようにわなにはまっていく。

それで、最後のトリックを知って、えーとなるので、反則技がないか、読み直すとこれがない。
ただ、書くべきことを書いていない、書かなくていいように、物語を進めていっている。


草薙刑事と、湯川助教授が活躍する、探偵ガリレオのシリーズですが、
今回は、物理学の天才・湯川VS数学の天才・石神の思考の対決が、全面的に前に出てきます。

倒叙式で、ストーリーの初めに、殺人のシーンが見せられています。(刑事コロンボ&古畑任三郎形式ですね。)
富樫を殺したのは靖子と美里、石神は、その事件の隠蔽工作をしている、とわかってしまっているわけです。
もう、この時点で、もう作者のわなにはまっているわけです。

「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか。
ただし、解答は必ず存在する。どうだ、面白いと思わないか」

物理学者の湯川学が、同じ大学の旧友であり、すぐれた数学者としてその才能を唯一認めている石神哲哉に対して放った言葉である。
本書のミステリーとしての面白さは、犯人を推理することにはない。

その犯罪には直接関与しなかった石神が、どのような方法で警察や湯川の目をあざむいてその犯罪を隠蔽しえるのか、
という点にこそ面白さがある。

探偵や刑事よりも、むしろ殺されて当然のような最低の男を殺してしまった靖子や、
彼女への愛ゆえにその犯罪の隠蔽に力を貸すことにした石神といった登場人物のほうに、
読者がより感情移入しやすい。

それ以上に重要なのは、数学者石神が、ひそかな思いを寄せているとはいえ、
犯罪隠蔽の大きなリスクを、なぜあえて行なうことになったのか、というその心情面こそが、
本書の中心にあるからこそでもあるのだ。(実際には、もっと大きな犯罪を犯してしまっているのだが)

石神という男の靖子に対する愛情がどの程度のものなのか、について、じつはあまり言葉を尽くしてはいない。
それは見方によっては彼の愛、そして愛ゆえの献身ぶりが、ありえない 信じがたい設定なのです

本書のタイトルから、本書のもっともメインとなるテーマは、
『人間の愛――人が自分以外の誰かのために、どれだけのことができるのか』
という一点につきるのだ。
その献身がどれほど大きなものなのかは、仔細にはかかれていない。
最後であきらかになる謎解きが、同時に石神という男の靖子に対する愛の深さを思わせるに、充分な衝撃とすさまじさを併せ持ったものとなっている。

人間のその無限の愛を何百万の言葉を費やすよりも深く、強く表現することに成功した作品、

だからこそ探偵などよりも、「容疑者X」たる石神のキャラクターが物語の中心となる。

引用した文章は、「人に解けない問題を作る」者=犯人であり、「問題を解く」者=探偵という構図を示す。
探偵役となる湯川自身が、「問題を作るほうが難しい」と答え、「人に解けない問題を作る」者に、敬意を払うべきといっている。

才能がありながら、才能を充分生かすことのできない立場にある男が、
才能を自分が守るべき者のためだけに費やしていくという、倒錯していながら、
それでいて、だからこそ美しいそのトリックの境地を味わうことが出来る。

『人は、どこまで深く人を愛すことが出来るか? どれほど大きな犠牲を払えるか?』
考えさせられる作品です。



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