2010年12月4日土曜日

陰陽師―太極ノ巻 第7巻 夢枕獏 堺市の中心で?を叫ぶ

「二百六十二匹の黄金虫」

遍照寺の明徳は眠る前に涅槃経を誦すのが習慣になっていた。
涅槃経を誦していると、ある晩から黄金色にキラキラ光る虫が灯火の周囲に集まるようになった。
黄金虫は朝になると捕らえた虫までもが消えてしまう。
その黄金虫は二百六十二個体、百十六種類いると露子姫は言う。
この不思議な虫の正体は?


「鬼小槌」
平実盛が疱瘡神に出会ってしまったことから、都に猿叫の病が流行り、助けを求められた晴明が解決に乗り出す

「棗(なつめ)坊主」
熊野に出かけたきり戻らなかった恵雲という僧が、五十年後に叡山を訪れたという

「東国より上る人、鬼にあうこと」
前半の、東国からきた人物が鬼に会ったエピソードは、今昔物語集に載っているものです
原本には、橋の下から誰かが「ここにおります」と答えたところまでしか残っておらず、続きは紛失してしまっているそうです。
なので、続きの話が夢枕氏のオリジナルです。

「覚(さとる)」
頭で、博雅がふと思い出して詠ずる「物思へば…」という和歌は、和泉式部が実際に貴船神社で詠んだもので、
「古今著聞集」「沙石集」「無名草子」にも載っています。
もうずいぶんと前ですが、『サトラレ』というドラマがあったと思います。
人に考えていることが漏れ聴こえてしまう人々のことを描いたドラマですね。
覚(さとる)という妖怪は、人が考えていることを読んでしまいます。
考えていることを言い当てられるたびに、その人は少しずつ心を喰われてしまい、
最終的には廃人のように腑抜けてしまうのです。



「針魔童子」
播磨の性空上人が出てきますが、この人は実在の人物です。
本文に紹介されているエピソードは、今昔物語集 巻十二(三十四話)と、古今著聞集 下 巻十一に載っています。
小説本編の、乱暴を働いた童子を性空上人が追い返したところまでが説話として残っており、続きは夢枕氏のオリジナルです。

6篇

基本的にいつも通りの流れは変わりません。
・晴明と博雅が話していて
・博雅が「不思議なものだなあ」などと言いながら景色や聞いた話
・晴明「それも呪なのだ」という感じで博雅の話を呪の話でまとめようとする
・博雅「また呪の話か」と呪の話になるとわからなくなるから抵抗
・そんな話の中で、どこかで怪異が起こっているという話が出てくる
・晴明が実はその怪異について相談を受けていると話す
・今日、怪異を片付けるので博雅も一緒に行こうと言い出す
・「ゆこう」「ゆこう」そういう事になった
・怪異を片付ける
・片付けた後、また二人で話す(芦屋道満や露子姫がいる事もある)

ほとんどこれに当てはまりますが、むしろ最近は当てはまっててほしいぐらいの勢いです。



 「鬼も神も、つまるところ、人との関わりなくしてはこの世にない」
 「なに?」
 「人の心が、神にしろ鬼にしろ、それをこの世に生じさせるのだ」
 「まさか、呪によってなどというつもりではないだろうな」
 「まさかではない。まさにその呪にいよって、神も鬼もこの世にあるのだ」
 「ー」
 「この地上から、全ての人が消え去るならば、神々や鬼もまた、この地上から消え去るのだよ」

印象に残ったやりとり

堺市の賃貸を、堺市の中心で?を叫ぶ