「鳳凰ノ巻」では、蘆屋道満が登場します。
「泰山府君祭」
「蘆屋道満は、言うなれば人の心にたかる蟲のようなものさ」という晴明の道満評が印象的
老齢になった僧侶の中に、女性への未練がくすぶっていた。そこに蘆屋道満が現れて、僧侶の迷いを利用して呪をかける。
それ以来、僧侶は眠ったまま目を覚まさなくなってしまった。
僧侶は帝ともつながりのある人物だったので、帝から晴明に解決してくれという依頼が来る。
この事件では晴明が泰山府君について、「ただの力」と表現する場面があり、陰陽師の世界観が伺えます。
「青鬼の背に乗りたる男の譚」
妻を離縁した男の元に、元妻の様子がおかしいという情報が入る。
男が調べてみると、妻はすでに死んでいた。
しかし、死んでいるにしては、腐りもせず、どうも様子がおかしい。
そして夜になるとその女の恨み言が聞かれるという。男は恐怖して晴明の元にやって来る。
「月見草」
謎かけが施された歌の意味を解き明かしていくという話でした。
「漢神道士」
藤原為輔が寝ていると、夢の中に老人が現れて、為輔の手を引いていく。
行き着いた先には地面から一抱えもある太さの鉄の棒が突き立っていた。
そこで老人は為輔を鉄の棒に押し付ける。
これが3日続いたところで、為輔は博雅を通して晴明に助けを求めた。
「手をひく人」
人柱の話でした。
橋の柱(橋脚)に人を埋めるというのは、本当にやっていたのでしょうか。
さて、物語のほうですが、家というのは一種の結界で、その家に縁のないものは簡単には入れないという記述がありました。
また土剋水という五行相剋の一端が出てきました。
「髑髏譚」
最照寺の忍覚という上人が奇妙な夢を見た。
そこでは多くの僧が、唐人のような者達に捕らえられていて、その僧達が煮えた銅を口から流し込まれている光景をを目にする。
物陰から隠れてそれを見ていた忍覚だったが、思わず声を上げてしまい、唐人から見つかってしまった。
捕らえられた忍覚は他の僧と同じように煮えた銅を飲まされる。
夢から戻った忍覚は、夢の中で僧から助けてくれと頼まれていたのだが、どうすればよいかわからず、晴明に相談する。
「晴明、道満と覆物の中身を占うこと」
晴明と道満ではどちらが優れた陰陽師なのか確かめたくなった貴族達が、術比べをさせようと試みます。
7話
蘆屋道満という法師が、清明の敵とも言えず、仲間とも言えず、ただ同じ心はどこかに持っている間柄として、
ちょくちょく出てきます。
道満とのやり取りもまた、陰陽道を究めたもの同士のさびしい心のうちがあり、興味深いです。
「鬼も神も、つまるところ、人との関わりなくしてはこの世にない」
「なに?」
「人の心が、神にしろ鬼にしろ、それをこの世に生じさせるのだ」
「まさか、呪によってなどというつもりではないだろうな」
「まさかではない。まさにその呪にいよって、神も鬼もこの世にあるのだ」
「ー」
「この地上から、全ての人が消え去るならば、神々や鬼もまた、この地上から消え去るのだよ」
という安倍晴明と源博雅のやり取りが、印象的
”晴明は、白い狩衣をふうわりと身に纏い、柱の一つに背をあずけ、右手に庭を見るようにして座している。
右ひざを立て、その右ひざの上に、杯を持った右手の肱をのせている。
清明の肌の色は、女のように白い。
唇は、紅を塗ったように赤かった。
その唇に、微かな笑みが浮かんでいる。”
と何度か、どの本でも、冒頭の安倍晴明の家での風景なのだが、
このイメージが 映画の『陰陽師』での野村 萬斎のイメージと私には、ぴったりに思える。
堺市の中心で?を叫ぶ